「からゆきさん」と呼ばれた日本人娼婦たちの歴史的写真
2013.12.30 21:00 画像・歴史・文化 # コメント(-)


からゆきさん(唐行きさん)は、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことで、当時の彼女たちの写真がロシア系サイトに紹介されていました。一部後から着色を加えた写真が多いです。
Wikipediaによると、からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだったそうです。
彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちで、こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡しました。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得ます。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいたそうです。
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こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえましたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになりました。
1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止されました。その多くが日本に帰国しましたが、更生策もなく残留した人もいるそうです。
第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることはあまりありませんでしたが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が続々と出版されました。
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からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地で、特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣されたそうです。
また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もあります。
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からゆきさんとして有名な北川サキさんの、大正中期から昭和前期のボルネオの例では、娼婦の取り分は50%、その内で借金返済分が25%、残りから着物・衣装などの雑費を出すのに、月20人の客を取る必要があっりました。「返す気になってせっせと働けば、そっでも毎月百円ぐらいずつは返せたよ」ということから、最少で月120人の相手をしていたと予測されます。
普段はさほど客も多くないのですが、港に船が入ったときは、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ることもあったそうです。
一泊10円、泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だったそうです(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われています)。
現地人を客にすることは好まれず、かなり接客拒否ができたと見られています。しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、どんなに休みたくても休みはなかったそうです。
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via:bigpicture
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