中国の新聞系サイトが特集した韓国抗議行動の歴史
2011.11.27 09:00 画像・歴史・文化 # コメント(-)


アメリカのウォール街占拠や、エジプトの軍に対する抗議デモなど、世界各国では抗議行動が活発化しています。そんな流れの中、中国の新聞系ウェブサイト「網易」では、これまでの韓国の抗議行動の歴史が「怒れる韓国人」というタイトルにて特集されていました。
ソース:《看客》第118期:愤怒的韩国人
“Angry Korean People”, Chinese Netizen Reactions
網易の記事によると、韓国では反米、反日、反政府など、常に抗議行動が勃発しており、その数は年間11000件、警察機動隊が出動するほどの大規模な暴動は年間85件にのぼるそうです。また、抗議内容も自虐的で体を張ったものが多く、これはかつての植民地化支配された長い歴史による屈辱感と支配されることへの恐れが形となって現れたのでは?と伝えていますが、チョイスされたものの中に中国に対するものがなかったのは中国系新聞の特集だからかと思います。

記事は英文をそのまま意訳したものですが間違いがあったら訂正いたします。
1997年1月11日 蔚山。
労働基準法の改正を受け現代自動車の社員が自らの体に火をつけ機動隊の前で抗議。このストライキは、自動車、造船、および他の主要産業の生産を停止し、3万人を動員した。

1998年12月23日、ソウル。
不正を行っていた仏教寺院の僧侶100人に対し1000人規模の機動隊が突入、これ以上警察が介入するのであればみな自殺するとして、ナイフを持ち自らを傷つけながら立つ僧侶

2001年11月18日、ソウル。
1万人以上の労働者が政府の産業再編と労働者の祝日削減プログラムに抗議。

2002年3月15日、ソウル。
機動隊に火を吐き出すためにプロパンガスのタンクを使用。北朝鮮に潜入する諜報部門の退役スパイ軍人らが報酬を求める為のデモ。1970年代から1990年代にかけ、13000人が秘密の訓練を受けて北朝鮮に潜入調査に入っているが、任務を解かれた後は政府の監視の対象となるので、新たな仕事を見つけることが難しいという。

2002年11月13日、ソウル。
選挙集会で、民主党の大統領候補盧武鉉(ノムヒョン)政府は国内の農産物市場を保護することを要求する農民のパレードに遭遇し、デモ参加者によっ卵を投げつけられる。

2002年6月20日、ソウル。
米軍基地の前で看板を壊す抗議者。この年の6月13日に、基地外の訓練演習任務で米軍の装甲車が14歳の韓国人女子中学生2人を跳ね飛ばし死亡させたことに対する抗議。

2003年4月2日、ソウル。
イラクへの医療・人員援助を決定した盧武鉉(ノムヒョン)政権に抗議する暴動。

2004年8月15日、ソウル。
韓国のイラク駐留軍の撤退を要求した1万人規模のデモ隊が、アメリカ大使館の前でアメリカの国旗を引き裂くデモ。

2004年3月22日、ソウル。
アメリカの大使館でビザを申請が通らなかった韓国の若者が、米国大使館近くの6階建ての建物の上に登り、警察との4時間のこう着状態の後に飛び降りた。エアクッションにて死は免れた。

2007年5月、仁川(インチョン)。
アメリカの軍事基地撤廃要求に関する抗議

2001年8月13日、ソウル。
小泉元首相の靖国神社参拝を受けて抗議、自らの指を切断する20人の若者。

2005年10月17日。ソウル。
小泉首相5回目の靖国神社への参拝に抗議し、日本大使館の前で日本の国旗を噛む抗議者。

2007年3月1日、ソウル。
三・一運動88周年のこの日、退役軍人スパイが、裏切り者に対する怒りを米日本大使館の前で5犬の頭を並べる抗議行動

2006年4月19日、ソウル。
竹島の係争水域で海洋調査を実施する日本の計画に抗議し、三・一運動の記念碑の前で公の場で自分の腹を刺す男性。

2006年8月15日、ソウル。
日本大使館の前で6年連続で靖国参拝をした小泉元首相に対する抗議

2006年5月2日、ソウル。
竹島問題で抗議する地元の養蜂家は、独島(竹島)187000平方メートルを、1体に這わせた87000匹のミツバチで表現し日本の国旗の上に立つ。

2011年 8月1日、ソウル。
竹島問題で韓国を訪問した新藤義孝衆院議員ら自民党の議員3人が金浦空港で入国拒否。これを受け大規模抗議行動が勃発。

2003年9月20日、ソウル。
メキシコで開催された世界貿易機関(WTO)の第5回会議が行われている中、"WTOは農民を殺す"として李京海(イ・ギョンヘ)元韓国農業経営人連合会会長が自らの胸をナイフで刺し自殺。これによりWTO第五回閣僚会議は、閣僚会議宣言文の採択ができず、交渉は決裂した。

2005年12月13日、香港。
WTOの第6回会議が行われた香港で、約2000人の韓国農民たちが抗議行動。会議の外で、ビクトリアハーバーの氷海に飛び込んだ。

2006年10月23日、済州島。
韓国とアメリカの自由貿易協定に抗議。

2007年7月13日、ソウル。
米国産牛肉の輸入再開に反対する抗議行動。、米国産牛肉を販売するスーパーマーケットのカウンターで牛の糞を投げつける酪農家たち

2008年6月28日、ソウル。
米国産牛肉の輸入再開が決まり、韓国の李明博(イミョンバク)大統領の似顔絵巨大を引き裂く抗議者たち。

2008年12月18日、ソウル。
韓国の野党議員は、米国との自由貿易協定を結んだ与党ハンナラ党の計画に抗議し、議会の委員会の扉をハンマーで粉砕。

2011年7月26日、ソウル。
米国自由貿易協定により牛乳の値段を引き上げ要求を下した政府に抗議。酪農家が棺に火をつけ、自分の体にミルクを注いだ。

2004年12月1日、ソウル。
親北朝鮮保安法の規定の取り消し要求の厳しい、頭を剃る女性抗議者。

2006年6月24日、ソウル。
ドイツワールドカップでスイスチームに韓国チームが敗北した件に関しズボンを脱いで抗議する抗議者。

国際世論との摩擦も多い韓国の抗議行動だが、その粘り強く忍耐力のある不屈の精神がかつての漢江の奇跡を作り上げ、急速に先進工業国として大国と肩を並べるようになったと記事では結ばれています。

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