シリアルキラー、エド・ゲインの家
2010.2.27 17:00 画像・歴史・文化 # コメント(-)
過去に名をはせたシリアルキラー、エドゲイン(1906年8月27日 - 1984年7月26日)は、アメリカ合衆国の殺人者にして墓荒らし。彼の犯罪は、彼が地元の墓場から掘り返した死体で作り出した恐ろしい「戦利品」と「記念品」を警察当局に発見されたことで名を馳せました。そんなゲインとゲインの戦利品が収められていた家をLIFE誌が取材したときの写真がこれらなのだそうです。
Inside a Serial Killer's House
">エドゲインの家 1957年逮捕直後に撮影
ゲインが実際に殺人を犯したのは2人だけだが、なぜかシリアルキラーと呼ばれることが多いという。死体の一部をランプシェイドやブレスレットなど調度品に改造するという恐ろしい性癖をもっていたことから、アメリカの殺人史を代表する有名な殺人者でもある。
母親のオーガスタが小さな食料雑貨店を経営していたウィスコンシン州プレインフィールドの町
逮捕直後、パトカーの後部座席にのるエドゲイン
ゲインの家を覗き込む2人の男性
ゲインの家の中
ゲインの家の台所。冷蔵庫から人間の臓器が発見される
ゲインの家から押収した証拠品をトラックにつめる刑事
母親が購入したレインフィールドの街はずれにあるゲイン一家の永住の家となる農場。唯一絶対の存在であり偏愛を受けた母親が1945年に亡くなると、ゲインはオカルト、解剖、死体への性的執着、カニバリズムへの願望が抑えきれなったという。
それは、墓場にある死体を持ち出して性交したり、また解体するなどの行為として表れ、月の夜に、切り取った女性器に自らのペニスをくるみ、乳房のベストを身に付け、女性の頭皮を被って農場内を歩いたり、剥いだ皮膚を張った太鼓を肩から吊るして、人骨のばちで叩き鳴らしたりしたという。写真はゲインが作った人間の皮膚で作ったマスクのイラスト図
逮捕後、ゲインは裁判中に証言台に立つこともできないほど精神的に無能力者と評決され、ウィスコンシンの中央病院に送還された。ゲインを診察した医者は、ゲインは裁判を受けるには十分健全であると判断し、裁判は1968年11月14日の水曜日に始まり、一週間続けられたそうだが、最終的に、慢性的な精神障害(性的サイコパス)として無罪となる。その後「重度の精神病患者」として、刑務所ではなく、ミネソタ州立精神病院に収監され、そこで死を迎えた。
ゲインがベビーシッターをしていたという、隣人のジョージフォスター夫人
インタビューに答えるゲインを雇っていた地元の農民
ゲインの犠牲者となった雑貨店経営の57歳の女性バーニス・ウォーデンの葬儀の様子
ゲインのベッドルーム。解剖本、探偵小説などが山積みになっている
警察官がゲインのベッドルームに入ってまず最初に目に飛び込んできたのは、ゲインが死体から作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物だったという。
保安官、アーサー・シューレイの隣に座るゲイン。アーサー・シューレイは、尋問の最中にゲインの頭と顔を煉瓦の壁に叩き付けるなどして暴行を加えたという。これは、ゲインの最初の自白が法的証拠として認められないことに対してのいらだちの為だといわれている。シューレイは、ゲインの裁判で証人として出廷した、1か月後の1968年12月に、43歳で心筋梗塞で死んだ。
証拠品を押収している警察官。皮肉にも探偵雑誌が前面に見える
ゲインの家を覗きにくる見物人。ゲインの特異な犯行は人々の興味を引き、死体を運ぶのに使っていたゲインの車がオークションで売りに出され、見世物小屋の興行主が落札し、派手にデコレーションして展示したという。
ゲインの家の台所の窓から中をのぞきこむ見物人
ゲインの家の中で唯一きれいに保たれていたリビングルーム。この部屋は母親の死後まったく使われていなかったそうだ。
1958年3月20日、ゲインが拘留されているあいだに彼の家が火事で燃え、放火が疑われた。この変事を耳にしたゲインは、無邪気に肩をすくめて「へぇ、そうかい」と他人事のように答えた。
法廷でのゲイン
">エドゲインの家 1957年逮捕直後に撮影
ゲインが実際に殺人を犯したのは2人だけだが、なぜかシリアルキラーと呼ばれることが多いという。死体の一部をランプシェイドやブレスレットなど調度品に改造するという恐ろしい性癖をもっていたことから、アメリカの殺人史を代表する有名な殺人者でもある。
母親のオーガスタが小さな食料雑貨店を経営していたウィスコンシン州プレインフィールドの町
逮捕直後、パトカーの後部座席にのるエドゲイン
ゲインの家を覗き込む2人の男性
ゲインの家の中
ゲインの家の台所。冷蔵庫から人間の臓器が発見される
ゲインの家から押収した証拠品をトラックにつめる刑事
母親が購入したレインフィールドの街はずれにあるゲイン一家の永住の家となる農場。唯一絶対の存在であり偏愛を受けた母親が1945年に亡くなると、ゲインはオカルト、解剖、死体への性的執着、カニバリズムへの願望が抑えきれなったという。
それは、墓場にある死体を持ち出して性交したり、また解体するなどの行為として表れ、月の夜に、切り取った女性器に自らのペニスをくるみ、乳房のベストを身に付け、女性の頭皮を被って農場内を歩いたり、剥いだ皮膚を張った太鼓を肩から吊るして、人骨のばちで叩き鳴らしたりしたという。写真はゲインが作った人間の皮膚で作ったマスクのイラスト図
逮捕後、ゲインは裁判中に証言台に立つこともできないほど精神的に無能力者と評決され、ウィスコンシンの中央病院に送還された。ゲインを診察した医者は、ゲインは裁判を受けるには十分健全であると判断し、裁判は1968年11月14日の水曜日に始まり、一週間続けられたそうだが、最終的に、慢性的な精神障害(性的サイコパス)として無罪となる。その後「重度の精神病患者」として、刑務所ではなく、ミネソタ州立精神病院に収監され、そこで死を迎えた。
ゲインがベビーシッターをしていたという、隣人のジョージフォスター夫人
インタビューに答えるゲインを雇っていた地元の農民
ゲインの犠牲者となった雑貨店経営の57歳の女性バーニス・ウォーデンの葬儀の様子
ゲインのベッドルーム。解剖本、探偵小説などが山積みになっている
警察官がゲインのベッドルームに入ってまず最初に目に飛び込んできたのは、ゲインが死体から作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物だったという。
保安官、アーサー・シューレイの隣に座るゲイン。アーサー・シューレイは、尋問の最中にゲインの頭と顔を煉瓦の壁に叩き付けるなどして暴行を加えたという。これは、ゲインの最初の自白が法的証拠として認められないことに対してのいらだちの為だといわれている。シューレイは、ゲインの裁判で証人として出廷した、1か月後の1968年12月に、43歳で心筋梗塞で死んだ。
証拠品を押収している警察官。皮肉にも探偵雑誌が前面に見える
ゲインの家を覗きにくる見物人。ゲインの特異な犯行は人々の興味を引き、死体を運ぶのに使っていたゲインの車がオークションで売りに出され、見世物小屋の興行主が落札し、派手にデコレーションして展示したという。
ゲインの家の台所の窓から中をのぞきこむ見物人
ゲインの家の中で唯一きれいに保たれていたリビングルーム。この部屋は母親の死後まったく使われていなかったそうだ。
1958年3月20日、ゲインが拘留されているあいだに彼の家が火事で燃え、放火が疑われた。この変事を耳にしたゲインは、無邪気に肩をすくめて「へぇ、そうかい」と他人事のように答えた。
法廷でのゲイン
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